震災のトラウマ 対処と解消

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震災のトラウマ 対処と解消

 震災トラウマ。 読んだまま、震災を原因として生じたトラウマのことを震災トラウマといいます。東日本大震災は、地震だけでなく、そこから派生してきた津波、原発事故、風評被害、コミュニティ崩壊など幅広い問題が生じてきており、また、今後もそれらへの取り組みは続いていくことでしょう。

昨今の日本では、毎年のように、大きな災害が続いてます。
春は梅雨に始まる大雨。夏シーズンは台風。秋はまた秋雨前線を中心にすえた大雨。 冬になれば北から南まで大雪に見舞われます。
その間隙を縫うように起こっている恐怖の災害が地震です。

こんなに多い日本の地震

日本は逃げ場のない地震国!

 東日本大震災では、地震だけでなく、そこから派生してきた津波、原発事故、風評被害、コミュニティ崩壊など幅広い問題が生じてきており、2018年現在も、復興半ばであり、原発の後処理が完結するまでは、発電所本体だけでも数十年続くといわれます。

 記憶に新しいところでも、福岡県西方沖地震(2005年) 新潟県中越沖地震(2007年) 十勝沖地震(2008年) 岩手・宮城内陸地震(2008年) 熊本地震 (2016年)。そしてつい先日の「北海道胆振東部地震」。

 国内の大地震は、記録にあるだけでも以下の数です。

北海道
 択捉島沖地震(1918年・1958年・1963年)
 十勝沖地震(1952年・1968年・2003年・2008年)
 色丹島沖地震(1969年)
 根室半島沖地震(1973年)
 浦河沖地震(1982年)
 釧路沖地震(1993年)
 北海道南西沖地震(1993年)
 北海道東方沖地震(1994年)
東北地方
 昭和三陸地震(1933年)
 宮城県沖地震(1978年・2005年)
 日本海中部地震(1983年)
 三陸はるか沖地震(1994年)
 宮城県北部地震(2003年)
 岩手・宮城内陸地震(2008年)
 東日本大震災(2011年)
関東地方
 関東大震災(1923年)
 八丈島東方沖地震(1972年)
 伊豆大島近海の地震(1978年)
中部北陸地方
 東南海地震(1944年)
 三河地震(1945年)
 福井地震(1948年)
 北美濃地震(1961年)
 新潟地震(1964年)
 松代群発地震(1965年〜1970年)
 伊豆半島沖地震(1974年)
 長野県西部地震(1984年)
 新潟県中越地震(2004年)
 能登半島地震(2007年)
 新潟県中越沖地震(2007年)
関西近畿地方
 北丹後地震(1927年)
 昭和南海地震(1946年)
 阪神淡路大震災(1995年)
中国四国地方
 芸予地震(1905年・2001年)
 鳥取地震(1943年)
 鳥取県西部地震(2000年)
九州地方
 日向灘地震(1909年〜1996年)
 喜界島地震(1911年)
 えびの地震(1968年)
 福岡県西方沖地震(2005年)
 熊本地震 (2016年)

北海道胆振東部地震を体験して

地震のあらまし

これを記してる日付は、2018年9月9日。場所は札幌です。

 発生源は胆振地方中東部(北緯42.7度、東経142.0度)で、震源の深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は6.7。最大となった厚真(あつま)町の震度は7。

 内陸型だったことで幸いにも(といえるか)津波の心配はありませんが、大規模な土砂崩れが発生し、多くの家屋が飲み込まれました。遠く離れた札幌でも液状化現象が発生し、北区・清田区で道路の陥没や断水などがおこってます。

 何より深刻だったのが停電。北海道の半分を担っていた苫東火力発電所がダウンしたことで、需給バランスが崩壊。北海道全域がほぼ一斉に停電するという前代未聞の事態に。三日後までには99%が復旧したのですが、二晩ばかり、真っ暗な夜をすごしました。

 依然として予審は続いていて、7日以内に再び震度7が発生する危険があると、気象庁では注意を促してます。  気象庁地震情報

あってよかった! あればよかった!

 大規模地震が頻発する日本国内なので、震災体験者はうなぎのぼりといえるでしょう。  体験談はそこらじゅうに転がっていて、ちょいとネットで探してもしいいし、街でその辺の道ゆく誰かに聞けば、10人のうち2〜3人は応えてくれるかもです。

 それくらいいまさらですが、不便を体験したひとつの談として、ここに記しておきたいと思います。

 今回、我が家を含めて断水地域は少なかった。おかげで水の心配をすることはなかったのですが、デマが飛び交ったせいで、多くの住人が水の購入に走らされてます。電気の通じないレジさえ稼動しない中。スーパーやコンビにでは、暗い店内で残った品物ものを販売してくれたのはありがたかったです。近所の酒店では、崩れた商品の販売は中止し水だけの販売に踏み切ってました。

 結局断水はなかったのですが、電気がないためお湯が沸かせない。早々に湯船に水をはり、断水に備えました。

・あってよかった

 古い懐中電灯が2個でてきた
 乾電池が全種類揃っていた(放電したのもあったが)
 手回し式LED懐中電灯がやくだった
 壊れかけた携帯ラジオが、しっかり仕事した
 カップヌードル類
 カセットコンロ そのボンベ
 家族人数分のリュックサック(非難準備に使えた)
 現金(停電でクレジットカードが使えない)
 車のガソリン(満タンにする癖が役立った)
 スマホ(情報は重要)
 モバイルバッテリー
 ノートパソコン(スマホの充電に活躍)
 本
 仔犬

 細かな情報源はスマホ(ツイッター)から。電池消耗が激しいので、メインはラジオから。  食料があって住宅に不安がなければ、時間をもてあます。買出しに忙しいの最初の段階だけ。暇になるので本は必須。本屋は営業してなかった。「仔犬」はたまたま、5日ほどまえに家にやってきたところ。トイレトレーニングまっ最中で眼が離せなかった。遊び相手として、手を焼く生き物として、どれだけ癒されたかしれない。

・買ってきたもの

 LEDライト
 予備電池
 冷蔵庫の脱臭剤(くさくなるのが早い)
 身体を拭くためのウェットシート(お風呂にはいれない)
 缶ジュース・お菓子(ホームセンターや大手電気店が狙い目)
 ガーデンライト(ソーラータイプの庭に差すやつ。3〜5個あると結構明るい)

 あったらなあって感じたのが「手回し携帯ラジオ」と「ソーラー式モバイルバッテリー」。なにせ電気が一番の悩み。暇なせいでスマホばかり見てしまい、簡単に消耗してしまう。そういう意味ではUSBコードは各種複数あるといい。自分のところには有り余っていたけど。

地震をトラウマを体験するのは

地震の恐怖は長く消えない

 私は今回の地震のほかに別に、子供の頃、大きな地震と自宅前の火事を体験してます。  宮城県沖地震(1978年)では、住宅建築基準が厳しくなって制限のなかったブロック塀に基準が設けられました。地震でとっさに身を寄せたブロック塀が倒れ、何人もの人が犠牲になった地震です。実際、通学路のあらゆる高いブロック塀は倒れてました。

 あの地震が飽きたとき、私はガラスの多い縁側にいました。ガタガタするガラスの音がすると、ちょっと風のせいてあっても体が震え、寝ていても飛び起きる恐怖に悩まされたものです。それは20年以上も続き、思えばこれもPTSDだったのでしょう。

4つのPTSD段階とは

 自然災害を心的外傷として体験するときは、四つの段階を経るものと言われてるそうです(Raphael, 1986)

 I  警戒期
 II 衝撃期
 III ハネムーン期
 IV 幻滅期

 「来るぞ、来るぞ」と警戒している時期が警戒期です。雷なら雲がでて雨が降るのを予兆として警戒しますし、土砂災害も同様です。いっぽう地震のように予測ができない自然災害では、どんと、いきなり衝撃期から始まると言えるでしょう。

 2011年に発生した東日本大震災のような災害では、広い地域が一挙に混乱におちいりました。心的外傷は質量ともに深刻であり、長い時間をかけて取り組んでもいまだ悩まされている多くの方がいます。

 衝撃期が過ぎると、救助活動あるいは相互の助け合い、外部からやってきたボランティアと地元被災者の人々のあいだで生まれる高揚した気分があり、これがハネムーン期です。ハネムーン期が過ぎ、一人現実にたちかえると、失われたものの大きさがあらためて実感され厳しい現実を認識する力が回復されて、幻滅期が始まります。

 幻滅期においては、多くの人が「やり場のない怒り」を持つようになり、そのはけ口を求めて犯人捜しが始まったり、さまざまな混乱が起こされたりします。東日本大震災の後も混乱がおこりました。日本の国会議員たちが内閣不信任をめぐってあっちこっちへ駆けずり回った、非常に分かりやすい例です。このとき民主党は解散に追い込まれ、自民党が返り咲きました。

 このような震災による心的外傷は、大きな地震の揺れ、または津波の来襲という一回性のショックによって発生しますが、そればかりではありません。複数の想像を超えたストレスが重なって引き起こされるのです。  喪失体験、凄惨な場面の目撃、当たり前のように送っていた日常生活が送れないストレス、ひごろ覆い隠されていた数々の事実の露呈、地域社会の崩壊や変質、再建が長期にわたることへ感じる疲労感。などなど、ひとつおをとっても負担があるのに、いくつもの要因が重層的にかさなって起こるものと考えられます。

 だからといって被災地のすべての人がPTSDにかかるわけでもなく、かかったPTSDが同質ものだとういいう考えも間違ってます。誰にもで個性はあるし、異なる価値観をもってるからです。地震が起こる前から、それぞれの人は違う成育歴、つまり人生の歴史を生きてきました。そこから培われた素地が、災害によってどのように変わっていくか、個々人みな違うと考えられます。

「被災者の心のケア」という言葉がありますが、全部が全部PTSDの治療、という考え方には結びつきません。  ショック、ストレスを受けることと、PTSDになるということとは異なるのです。

地震PTSDからの回復

地震後のこころのケアは

 まずは休息や睡眠をできるだけとることです。今回の地震のように大変重いストレスにさらされると、程度の差はあっても誰でも、不安や心配などの反応が表れます。いまは、国内のどこかで被災者がいる時代です。避難先では難しいとは思いますが、それでも、できるだけ休息や睡眠をとるようにしましょう。電気や水道が通った住居にいられるのなら、なおのことです。

 休むことのメリットは、休息のデメリット(片付けの時間・行方不明の親族や友人を探す時間が減る)を大きく凌駕します。また、どれだけの不安や心配があっても、多くは時間の経過とともに回復することが知られています。早めれば早めるほど、PTSDから逃れられますし、後々、根深い痛みに悩まされることは減ります。

 不安や心配を和らげる呼吸法があるので、実践してみましょう。

「 6秒で大きく吐き、6秒で軽く吸う 」

 これは朝、夕5分ずつ行うというカンタンな方法、いまからでも、いつでも始められます。
 しかし、状態によっては、こうしたことさえ構っていられないこともあるでしょう。

 1) 心配で、イライラする、怒りっぽくなる
 2) 眠れない
 3) 動悸(どうき)、息切れで、苦しいと感じる

 ひどいときは無理をしないこと。まずは身近な人や、専門の相談員に相談してみましょう。普段からお互いに声を掛け合うなど、コミュニケーションを取るなどしておくことも大切です。自然なこころのケアに繋がりますから。

心じゃなく身体を動かすのもケア

 災害時には、ストレスから強い不安を感じたり、うつ状態に陥ったりします。まさに日常が崩れるレベルの異変に見舞われたわけですからね。心のケアが欠かすことができない大きな理由です。

 ただしコトが大きいだけに、ケアも普段とは別の角度で考慮する必要があります。じつは、震災などによる不安を感じるメカニズムは、ストレス応答系(自律神経系、免疫系、内分泌系)と呼ばれる身体の機能の不調からくるものと分かってます。
 この場合は、一般にイメージされるカウンセリング的な“心のケア”より、身体を動かす身体的ケアのほうが重要であることが多いとされてます。”心のケア”は、お話しで心をほぐす方法。大きな不幸に直面した人を相手するときは言葉が難しいのです。
 言葉のどこに地雷があるかわかりません。不用意なことを言って、忘れたいこを蒸し返したり、心を閉ざしてしまったするのではないか。ハードルが高くなってしまい、カウンセラーなどの専門家でも二の足を踏んでしまうそうです。

 いっぽうで、災害時PTSDとは、ストレス応答系の失調(ストレスによる身体の失調からくるもの)です。  ちょっとした身体のエクササイズの提供や、睡眠、食事、といった助言によって、誰でもサポートすることが可能にもなってます。

 震災で困っている人が100人いても、100人すべてがPTSDになるわけではないということです。大半のケースでは時間とともに、自然と回復していきます。

 近年、レジリエンス(トラウマ、ストレスへの耐性や回復力)が注目されてきています。レジリエンスとは、トラウマに対しての反応が比較的少なく、影響が少ないままに経過することを刺していいます。人間には本来、これまで考えられていた以上に、したたかな強さが備わっているということが分かってきてるのです。

PTSD度合いの判定

レジリエンスとストレス

 指に切り傷をこしらえたときの人の反応は、まさにさまざまです。血止めだ絆創膏だと騒ぎ立てる人もいれば、傷を舌でひと舐めして、けろりとしてる人もいます。傷の程度が同じでもこれだけの差があるのは、誰もが見知っていることです。

 ストレスを受けた後の回復過程についても、一様ではありません。十人十色。多様性があることが示されて、すべての人がPTSDとなる、といった考えは修正されつつあるのです。

 自分たちのことですが、人間については弱いとみるか強いとみるかは、観点によってさまざまです。強弱の両者は張り合わせといえます。例えば、人間は虐待など過酷な環境でも生き残る力がありますが、過酷な環境に適応するために身に着けた方略、のちの生きづらさを生むことも多い。それは強さでもあり、弱さでもあります。  うつ病になるのも実は過酷な環境への反応の結果として身を守り、方向転換を促す心身の強さともいえるのです。

 また、どんなことにも線引きのための基準が引かれるものですが、ここからそっちは違うと言い切れるほど、人間は単純な構造をしてません。PTSDの診断基準には至らなくても、災害の体験が心に影を落としてしる、というケースは少なくありません。

 PTSDかレジリエンスか。線を引いて概念を決め付けるのではなく、その当事者の状態をありのままにみる、ということが大切といえます。

 すべての人がPTSDになると決めつけるのもよくありません。自分にはレジリエンスがあると過信するのも危険なことです。ストレスにはストレス相応に、適切なケアを行うことは必要なのです。

 判定基準を次の通りです。
 下記の中核症状すべてが1ヶ月以上続いている場合にPTSDとされ、3ヶ月未満は急性、3ヶ月以上は慢性とされます。なお、1ヶ月未満の場合は急性ストレス障害(ASD)と診断されます。

 ・侵入体験(トラウマとなった経験や感情がよみがえるフラッシュバックなど)
 ・過覚醒症状(常に緊張しているような状態で、不安、不眠、集中困難、驚愕反応、イライラなど)
 ・回避・麻痺症状(トラウマの原因となっている出来事を回避しようとする)
 ・否定的認知や気分(自分や他者、社会に対してネガティブな認識や気分を持つようになること)

災害ストレスへの対処法

前提とストレス心構え

 震災でストレスを抱えた人がいた場合。そして、その人に対応する必要が生じた場合。まずはあなたが心に持つべき前提というものがあります。

 ストレスへ対処するための5つの前提

 1.生じている反応は、ストレスに対する正常な反応ということ。    感情があふれることは正常なことで弱さや異常さの表れではない。

 2.安心感、安全感を回復することがまずケアの大前提ということ。

 3.災害や事故はすべて環境からやってきたストレス。自分のものではないということ。   直面しているストレスは自分でかかえる責任や問題ではない。   周囲でともに支えあいながら再び環境に返すものであるという意識をもつ。

 4.災害直後は身体をリラックスさせる方法ほうがより効果的なケースが多い。   言葉や認知にアプローチするのが「心理的なケア」という固執を捨てる。

 5.災害時のストレスは、セルフケアが原則。   あまりにもつらい症状だったり6カ月程度を経ても強い症状が残るようなら、専門家のサポートが必要。

 前提としてもっとも知っておくべきなのは、災害時に起きる反応とはストレスへの自然な反応であるということです。個人の弱さの現れではないし、異常なものでもありません。

 悲惨な出来事、そしてストレスはその個人に現れます。なんですが実際はすべて環境によるものです。災害や事故も環境からやってきたストレスです。その自然な反応は、最も脆弱な人や弱いポイントに現れます。
   仮に、ある被災者がくじけそうだとしても、それはその人の責任ではありません。
 くじけそうな環境があるのに、支える環境がないせいです。

 ストレスで眠れない、体がしんどい、ことがあります。
 そういうときでも、自分自身がそうなっているととらえるのは間違いです。そうではなく、環境の影響が自分に現れているだけなんです。そうなことを知るだけでも、気持ちはぐっと楽になります。 

 被災者が一番ストレスに感じた声掛けは「頑張れ」だったそうな。

 個人の選択や、責任であるとか、個人が頑張らないといけない、といった観念はよっこらと脇に置いてみましょう。ついつい「(あなたが)頑張ってね」と声掛けをしてしまいますが、言葉を向けられた相手は、いっそうのストレスを受けてしまいます。

 震災でストレスを受けた人は、自分はある意味ストレスの通り道、パイプだと思いましょう。環境から来たストレスなのですから環境へと受け流してやる。そんな捉え方が必要です。人間はとても弱くて、すべては環境に寄りそられてできてます。

 それを前提として、ストレスに関わってみることが大切ですし、解消への近道です。